からせみは、子供のころから社会に出るまで、狂ったようにテレビゲームをしていました。社会人一年目の頃、会社の寮で仲間と徹夜でゲームをしているとき、『自分がどうしたら勝てるようになるか?』を突然悟りました。そして、それは勉強にも転用可能であることも気が付きました。極意を覚えたからせみは、ゲームから遠ざかり、危険物取扱者甲種、公害防止管理者水質一種、第一種衛生管理者など、資格を次々取っていくことができたので、これはからせみの妄想ではないと思います。
そうです。からせみは、『極意』に気が付いたのです。
では、極意とはなんぞや?千葉周作は次の言葉を残しています。
『極意とは己がまつげの如くにて近くにあれども見付けざりけり』
からせみが当時、ゲームのやりこみから得た『極意』は、①情報をたくさん集めること、②裏技にたよらず、地力を蓄えること、③特定のキャラや戦法にこだわりを持ちすぎず色々試すこと、だったのだと記憶しています。これって別に、ゲームでも勉強でもある程度やっていれば、どこかで聞いたり読んだりするありふれた教訓ですよね?それを、生まれて20年くらい(カラセミは保育園のころからゲームをしています)必死にゲームで遊んでたからせみは、やっと極意だと認識したのです。
千葉周作の言葉は極意のことをよく言い表していると思うのですが、極意は先輩の助言や雑談、教科書の最初のところなど目につくあちこちにあるけど、それを極意だと認識している人がほとんどいないものなのです。
仕事で極意を発見したときのお話をします。
からせみは大手メーカーで派遣社員をしているころ、開発的な部署にいたので、数十枚の実験データを抱えてうんうんうなっていました。本当にいろんなことを実験したけど、すごく複雑に要素が絡まっていて、答えが見えない、、、。プライベートの時間を使って、大学図書館に行き、関係がありそうな論文を片っ端からコピーして、自宅でうんうんうなっていました。
しかし、ある日、ふと、資料として最初に渡されていた教材に書かれていた、根本原則が頭に浮かびます。『この膨大な資料の実験結果、この法則の応用で全部説明がつくのでは、、、?』
実際はその通り、多少例外はあるものの、その法則に少し手を加えれば、ほぼすべての実験結果の説明がついてしまいます。気づいた瞬間、いろんな情報が一気に頭を駆け巡ったせいでめまいを感じ、倒れる寸前になりました。こんなに重要なことをからせみは最初に知識として与えられていたのですが、その情報を重要だとは思いつつも、目の前の減少にまったく紐づけてこなかったのです。
ちなみにそのデータ取りはおよそ10人のチームで運営していましたが、誰もそれに気が付きませんでした。まさに、『極意とは己がまつげの如くにて近くにあれども見付けざりけり』なのです。
からせみの経験から、一度極意をつかんだことがある人間は強いです。全然上手くいっていなくても、頭を働かせて、ある程度時間を投下していれば、いつかは極意をつかんで、急に大きく成長することを知っているからです。そして、一つ極意をつかんだ経験があれば、ある程度、初見でも極意を極意と感覚的にわかるようになります。つまり、新しい分野に挑戦しても、先輩の言葉や本にまぎれている極意を感覚的に極意だと認識できるようになります。
からせみの目から見て、英語多読の極意は『ネイティブの低年齢向けの本から順に読むことで、勉強的なアプローチを避けて、現実の英文を読む技術を習得できる』ということだと思います。勉強的なアプローチだと、文法なり、シャドーイングなりをしても、実際のネイティブの文書や音声に触れるためには、別途異なるアプローチが必要になるので、これはからせみにとって、非常に衝撃的な方法でした。なので、からせみが今洋書を読めてPodcastも聴けているのは、からせみにとっては奇跡でもなんでもなくて、中二病的に表現すると、『約束された勝利』なのです。
居合の先生も言っていましたが『できないできないと思っていたことが、ある日、自分はこんな簡単なことがわからなかったのか!と気が付く。そうするとできなかったことが簡単にできるようになる』と言っていました。ゲームの話になりますが、ヴァルキリープロファイルというゲームで、『天才?そんなの、大昔の負け犬が作った言葉だろう?』というセリフが出てきます。本当にその通りで、極意に気が付けばできるようになる簡単なことを、才能やセンスという言葉を使って説明しようとするのは、成長を邪魔する原因になると考えています。大抵の人が言う天才か凡才の違いは、この極意に早く気付くか、遅く気付くかだけの違いなのです。
気づくのが早いか遅いかだけ、、、そう考えると、やる気が出てきませんか?
極意探しに、出発!